かくれんぼ


騎士が領主と面会する理由として最も多いのは、己を売り込む場合である。
次に多いのは主の名代として派遣される場合。騎士にとってはもう一つの戦場である。
騎士を見れば主の器量が分かるというのは大筋で当たっているのだ。未熟な者にこの任は与れない。
逆に名代に任じられることは、それだけ主が配下の騎士を買っているということ。
騎士にとっては先陣を任されることと同様に栄誉なことである。

ディトリッシュもそれを心得ている故に、エプヴァンタイユの地に足を踏み入れた時から気を引き締めていた。
如何に王女と年も近く友好的だとしても、政治的な思惑が絡めば、天秤は容易に傾きを変える。
この訪問は王女個人の問題ではなく、政治的戦略の上に成り立つものだった。
――確かにそのはずであった。

しかし、次の日領主邸に改めて赴いたディトリッシュを待っていたのは思いもよらぬ人物であった。
応接室にはリュシアンの他に未だ男装を解かないフィーリアの姿があった。
思わず殿下と口走りそうになったが慌てて口を閉ざした。
迎えるリュシアンの背後で、フィーリアが悪戯っぽく人差し指を唇に添えていたのだ。
そんなやりとりなど露知らずリュシアンは先客を紹介しだす。

「いらっしゃいませ、ディトリッシュ殿。
フィーユ殿からお聞きしました。ディトリッシュ殿とはご友人であられるとか。
今、ロザーンジュのお話を聞いていた所です。殿下はお元気でしょうか」

「…ええ。大変お元気であられます。本当に……」

「それは良かった。政務で疲れていらっしゃるでしょうから心配だったんです」

その殿下は目の前にいるのだが。しかし何を意図してこの場に居るのやら。
フィーリアに限って配下の騎士をおちょくってやろうとは思っていないだろうが、少々お転婆が過ぎる。
常に語りかけるよりも多少声色を低くして話しかける。

「ところでフィーユ。君はロザーンジュに帰るはずではなかったのか?」

ディトリッシュの視線から逃れるようにフィーリアは目を逸らす。
ばつが悪そうに早口で捲し立てる。

「…僕にとっても予定外だったんだ。本当はまっすぐ帰るつもりでその準備もしていたんだ。
ただ…ね、少し厄介な人に掴まってしまって…。ああ! リュシアン様は全然悪くないんですよ!
僕はリュシアン様とお話しするの、とっても楽しいですから!」

リュシアンは年齢に似合わぬ気遣うような苦笑を浮かべる。
気にしてません、と続けた瞬間、件の厄介な人が蹴破らんばかりの勢いで扉を開けた。
背後から家人の悲鳴が聞こえるも、その人物は気にした様子も無く、
満面の笑みで部屋に入ってきた。

「見つかったよー! この人数なら充分かくれんぼができる!
二人とも待たせちゃってごめんね。って、あれ? この人もそうなの?
どこかで見たことが…って、ええと誰だっけ…すいません…俺、忘れっぽくって」

「この方は王女殿下の騎士ディトリッシュ殿だよ。アストラッド」

「ああー! そうか! 剣の誓約の時にお会いしましたよね!
俺、宰相のお世話になっているアストラッドって云います。よろしくお願いします!」

アストラッドは警戒心の欠片も感じさせない笑みで、ディトリッシュに礼をする。
アストラッド―その名は目下一番の政敵である宰相の養子の名だ。
フィーリアとは幼馴染で、剣の誓約の際も周囲の目を気にすることなく親しげに話をしていたのを覚えている。

「フィーユ、これは一体どういう――」

「リュシアンと約束したんですよ! 今度来た時は大勢でかくれんぼしようって!
それで俺、街中歩き回ってかくれんぼしてくれる人を探し回ってたんです!
フィーユとは今日知り合ったばかりだけど、何だかすごく話しやすくて、前から友達だったみたいでさ。
ああでも、二人とも知り合いなんだね。すごい偶然だよ!」

どうも彼は目の前の少年の正体を知らないようだ。
素直だが言動の幼さばかりが目立つのは、剣の誓約の日から変わってはいない。
執政官は、アストラッドが政治的な用向きを命じられることは万に一つもないだろうと語っていた。
一方で裏表が無く純粋な気質は、宰相の後ろ暗い部分のよい隠れ蓑となっているとも。
そう云った意味で宰相はアストラッドと云う騎士の使い道をよくわかっている。
それにしても、この騎士は今何と言ったか。ディトリッシュは己の聞き間違いを期待した。

「失礼。今何と――」

かくれんぼと云ったか。咄嗟にフィーリアを見る。
フィーリアは自分にはどうしようもできないと云った風に苦笑いする。
剣の誓約の日もそうであったが、アストラッドと云う若者は勢いだけで生きている節がある。
ある意味でフィーリアの恩人なのであろうが、やりにくいことこの上ない。

「もしよかったら、ディトリッシュも一緒にやらない? きっと楽しいと思うよ。
昨日の話の続きじゃないけど、こういう機会でもないとできないからさ。
今日は面倒なことぱあっと忘れて遊ぼうよ。リュシアンも喜ぶ」

ね、とフィーリアから同意を求められ、リュシアンは緊張した面持ちで「はい」と答えた。
瞳には子供らしい期待する色が見て取れる。ディトリッシュは何となく幼い頃の自分を思い出した。
周囲の大人たちを見る目には、父を見る目には、きっとこんな願望が宿っていたのだろう。
この小さな領主と違うのは、応えてくれる者の有無のみ。哀れみと微かな嫉妬を抱く。

「駄目、かな?」

恐る恐るといった体でフィーリアが尋ねる。
命令でなくともディトリッシュが、フィーリアその人に頼まれれば断ることなど出来ようもない。

「私は構わないよ、フィーユ。リュシアン卿もよろしいか」

リュシアンの声をかき消すように、アストラッドが人一倍大きな声で快哉を上げる。
それを宥めるフィーリアには、配下のどの騎士にもない親しみを感じる。
もし自分がアストラッドの立場であったなら、迷わずフィーリアの元へ馳せ参じた。
元から手にしていた親愛の情をふりほどいて宰相の元に留まったアストラッドを、
愚かしく思うと同時に果ての無い羨ましさを感じた。






「ディトリッシュ、見いつけた」

変声期前の少年のような声音で呼びかけられた。
ディトリッシュが顔を上げると、思った通りフィーリアが顔を覗かせていた。
空色の丸い瞳が嬉しげに細められている。
はて、鬼はアストラッドのはずだったが。目線で問うとフィーリアはディトリッシュの隣に滑り込む。

「実は隠れ損なっちゃって…。久しぶりだったから…」

ここいいかな、とフィーリアは尋ねる。どうぞと場所を空けた。
ディトリッシュの隠れていた場所は、中庭の花壇の近く、そこの建てられた四阿の影であった。
人気が無く遮蔽物も多い為、隠れるにはうってつけだと考えたのだ。
常ならば、暗殺者を初めとする狼藉者が潜んでいないか警戒し、自分が隠れようとは夢にも思わなかっただろう。
この隠れ場所を見つけた時は可笑しな気分だった。宝物を探し当てた気分だったからだ。

「中々心が躍るものなのですね。かくれんぼというのは」

「良かった。楽しんで貰えて。何だか私たちばかりがはしゃいでるようだから」

人の習わしに不慣れなディトリッシュは、
常日頃から細やかに配慮してくれるフィーリアには大いに感謝していた。
彼女の収めるロザーンジュという街は、ディトリッシュが見てきた他のどの街よりも、
ましてや暴力と混沌が支配する故郷のマンハイムより、生きやすい場所だった。
まるでフィーリアの優しさが息づいているかのようだった。

「殿下もリュシアン卿も、まだまだ遊び足りないお歳でしょう。
私に配慮なさらなくともよろしいのですよ。それに、君は今フィーユなのだから何も問題は無い。
そうだろう?」

照れ臭そうに笑うフィーリアは本物の少年のような面差しだった。
あと二、三年もすれば、如何ほどに男の装いで身を包もうとも、
匂い立つような女性らしさを隠すことはできなくなるだろう。
今でもはっとするような艶めいた仕草をする時がある。
それを目にした時は他の騎士に対してささやかな優越感を覚えた。
今や騎士としての忠誠心よりも、王女の一喜一憂がディトリッシュの剣を支えていた。

「そうだね。僕はフィーユだから。
ディトリッシュも今日は王女様の騎士じゃなくて、ただの僕の友達。
そしてアストラッドも僕の友達で、リュシアンもアストラッドの友達だ。
ここにいるのは皆友達だから、立場なんて気にしないで、思いっきり遊べるよ」

随分と友人が増えたものだ。思わず笑みをこぼす。

「では私の友人フィーユ。遊び方をご教授願いたい。
かくれんぼというのは、鬼が近づいて来ても。こうしてずっと隠れていればいいのだろうか」

「え、近くに鬼が?」

フィーリアは目を丸くする。

「ここから大体七、八歩。だがこれは鬼ではなく使用人の誰か。
少し足を引きずっているようだから老人かもしれない。
ああ、今その彼に向かって走ってくる者がいる。この騒々しさは…アストラッド卿だろう……」

「アストが近くに…? あら本当!」

ひょいと顔をのぞかせ、即座に引っ込める。
見つかったかも、と小声で呟くと、ディトリッシュの肩にぴたりと身を寄せる。
思わず声が出かかった。ディトリッシュは胸が高鳴るのを感じた。
香水の残り香が鼻に付く。白いうなじに一房金色の髪が垂れ下がっているのが見えた。
不埒な己を恥じるべきだったが視線は釘付けされたままだった。
しかしフィーリアは無邪気なままアストラッドの様子にばかり気を取られている。

ディトリッシュにふと悪戯心が湧く。
このまま耳元で我が愛しの王女殿下と囁いたらどんな反応をしてくれるだろうか。
ディトリッシュは自身の思いつきを一笑に付す。想像は想像の内に収めておくからこそ平和なのだ。
彼の分別は愛しの王女殿下をからかうことを許さなかった。
だが隣にいる自身を尻目にアストラッドばかりを気にするフィーリアに、
穏やかでないものを感じるのも事実だった。

「フィーユ。そのままゆっくり大きく息を吸って」

フィーリアは目を瞬かせる。
再度ディトリッシュに促されると、怪訝な顔をしたまま言うとおりにした。

「自分の心臓の鼓動を感じるだろう? 集中して鼓動と自分の意識を重ねるんだ。
段々鼓動と一体になったように感じるだろう。自分と云う存在を無くすつもりで心を穏やかに保つ。
目を閉じてしまってもいい。出来る限り五感は意識しないで」

何事かと強張っていた顔から徐々に緊張が解けていく。
眉間から皺が消え、引き結ばれていた口元が緩み、眠っているかのような表情になる。
何と無防備な様相だろう。毎夜斯様な表情で夢を見るのかと不埒な想像をしてしまう。
だがディトリッシュはすぐに己の煩悩を打ち払った。
このようなことばかり考えてしまうのは、フィーリアの全幅の信頼があまりにも心地よく、
分け隔てなく与えられる優しさに浮ついた心が抑えられないからだ。

(真に愚かなのは私だ)

ディトリッシュも、先にフィーリアへ示したことをなぞる。
かつて、師に当たる騎士から授けられた心を平静に保つ方である。
これほど決闘や戦とかけ離れたことで使うとは思いもよらなかったが。

「ねえ、ディトリッシュ」

いつの間にかフィーリアが目を開けて、その青い瞳がディトリッシュを映していた。
フィーリアは悪戯っぽく微笑む。

「ディトリッシュがいつも落ち着いている理由がわかったわ」

フィーリアは正しく意図を汲んでくれた。
感覚を研ぎ澄ませると先ほどまで騒がしかった足音が大分遠くに離れている。
フィーリアにそのことを伝えると、ほっと胸を撫で下ろしてからからと笑う。

「何かから隠れる時は下手に動いてはいけないのね。
もっと昔にこのことを知っていたら、私はきっとかくれんぼの名人だったわ」

ああでも、とフィーリアはふと考え付いたように続ける。

「見つけられないのも、それはそれで寂しいものね。
結局、かくれんぼって誰かに見つけて貰うのが一番楽しいもの」

「そう、ですね。誰からも見向きもされないというのは辛いことです」

この少女にはわかるまいとディトリッシュは思う。一生わからないままでいて欲しいと思う。
誰からも気にされず、探されないことの悲しみを。
幾ほどの時を待てども、己の名を呼ぶ声は聞こえず、近づく気配すら無い。
黒曜城の闇に自分も溶けてしまったのではないかと錯覚さえした。
自分の存在が消えていく恐怖、たった一人で世界に投げ出された孤独感。
幼い頃の記憶は色あせることを知らず、今でも寒々しいほど現実感を帯びていた。

「どうしたの?」

フィーリアは、急に黙ってしまったディトリッシュを心配げに覗き込む。

「いいえ。領主殿もアストラッド卿に見つけて貰えればと」

如何な幼子が、あれほどの仕打ちを受ける理由があるというのか。
フィーリアも同調するように頷く。

「そうね。きっとリュシアンも喜ぶわ。
私たちも見つけて貰いましょう。いつまでも本気で隠れていたらアストも困ってしまうわ」

そう言うが速いか、フィーリアは勢いよく立ち上がる。
猫のように手足を伸ばし、きびきびとした動作でずれた帽子を被り直した。

「仰せの通りに。では、フィーユにお戻りください」

「わかった。僕はフィーユ。僕はフィーユ……と。
でも、ディトリッシュと話していると、すぐにフィーリアに戻ってしまうわ。
どうしてかしらね。何か特別なものでもあるのかしら?」

「殿下。そのようなことを仰らないでください。そうでないと――」

ディトリッシュは言いよどむ。
フィーリアは首を傾げて「そうでないと?」と復唱した。
逃れられそうにないなとディトリッシュは苦笑する。

「自惚れてしまいます」

一瞬きょとんとした顔をした後、すぐさま慌てた様子で視線を逸らす。
そして言い訳にもならない言い訳を吐いた。

「本当にそう思っているのよ…。
別にからかっているわけでも、あなたの…き、気を、惹こうとしているわけでもないのよ?
ただ、ディトリッシュの前だと変に畏まらなくてもいいから…」

信じているのよ、とフィーリアは訴える。
フィーリア、と畏れ多くもディトリッシュは御名を胸の内で囁いた。
少女の声はか細いものの、男としての庇護欲と騎士としての忠誠心を同時に呼び起こすものだった。
僅かな逡巡の後、ディトリッシュは騎士としての己を選択する。

「ありがとうございます。
主の信頼は騎士の誇り。我が名誉にかけて、殿下の信頼に応えてみせましょう」

「私もあなたに恥ずかしくない王女であることを誓います。
…何だか、急に改まるのも照れ臭いわね。さ、もう行きましょう。本当にアストが困ってしまうわ」

再度「僕はフィーユ」と呟き、踵を返す。
その後姿に目を細めながら、ディトリッシュは光の中に出る。
不意にフィーリアが振り返る。

「私が鬼になったら、必ずあなたを見つけてみせるから」

そう言い残してフィーリアは光で満ち溢れた庭を駆けて行った。



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