騎士の王


私は騎士王の直系なのに、馬に乗ってはいけないのはおかしい。
幼い頃、兄王子の乗馬姿を見てせがみ、そう言って駄々をこねて周囲を困らせていた姫様。
淑女が馬に跨るのははしたない、女の子はおしとやかに、という曖昧な決まり文句で、
お転婆姫様を納得させることは出来なかった。

大人たちの目を掻い潜り、侍女が席を外したのを見計らって厩舎に走り、
ドレスの裾が黒くなるのも顧みず、鐙と鞍を見様見真似で載せると、意気揚々と足を掛けた。
が、いかなるお転婆姫といえども、所詮は深窓のご令嬢。

足は思ったより上手く上がらず、ぐらぐらと揺れる鐙を踏ん張ることも出来ず、
さりとて今更下りることは出来ない。馬に乗って高い景色を見る。
そして馬車よりもずっと早く、風と一緒に駆けるんだと決めたのだ。

しかし、熱意は空回りして、手綱を力いっぱい引っ張ってしまう。
そのお蔭でようやく半身を鞍の上へ乗せることに成功したが、
体は大いに傾き、馬の首に縋りついて体を支えてしまった為、不格好な荷駄の様な姿となった。

ここでようやく、馬丁たちから大人しいと可愛がられていた馬が、
いつもと勝手が違うと不平を鳴らし激しく首を振り始める。
首に変な生き物がへばりついているとってとって、と悲しげに鳴き、嘶く。

何事かと、嘶きを聞きつけた騎士たちがどたどたと厩舎に入り込んだ所で、
お転婆姫の生まれて初めての乗馬は呆気なく終わりを告げた。
その後、乳母や家庭教師に侍女、おまけに父王にまで叱られる羽目となった挙句、、
自室で謹慎を言い渡された。

私は騎士王の家の娘なのに、どうして馬に乗ってはいけないの。
心から反省しているふりをしながら、実のところはまるで反省していなかった。
敢えて悪いところを挙げれば、無体な乗り方をしてしまった馬に対してである。
フィーリアはただ、大人の理不尽さに内心では頬を膨らませていた。




「私が王様になったら、まず騎士の娘は全員馬に乗れなければいけないと布告するわ」

東の果てにいるという神秘の国の女王様の話を聞いて、昔からよく夢想していた。
それが現実になりそうなところまで来ていることに、不思議な感覚を覚える。

ぴんと背を伸ばして遠くを見る。平原の向こうには山、その向こうには何があるのだろう。
訓練と称して郊外に遠乗りするのは一度や二度の話ではない。
お転婆姫は数奇な運命をたどり、女だてらに槍試合までする男勝りな姫騎士にまで成長した。

「それは、難しいでしょう」

ヴァルターが笑い交じりに答える。
武芸の師でもある親衛騎士にわけを聞こうと、馬の鼻を寄せる。
ヴァルターは少し困った風情で主に答える。

「深窓の令嬢とはとかく自ら動きたがらないものですから」

「可哀想ね。空はこんなに青くて、風はこんなにも気持ちいのに」

世界は広く己は小さい。遠乗りに出て空を眺めるのが好きだった。
置いていかれるエクレールはいつも不満そうにしているが、
こうしていると、自分を取り巻く政争のあれこれがとても卑小で下らない事のように思えるのだ。

「ヴァルターは深窓の令嬢が好きなの?」

唐突な問い。勇猛を知られる騎士は一瞬苦虫を噛み潰したかのような表情をする。

「ころころと肥えたオペラ歌手の様なお嬢さんがお好み?
触り心地が堪らないって、一部の騎士には大好評なんでしょ?」

悪戯っぽく笑ってみせると、ヴァルターは気の抜けたように息を吐く。

「まったく、耳年増もたいがいになされませ。
それとも、俺ではなく執政官殿の口から説諭されるのがお好みか」

「弱味を突くなんて騎士道に悖るわよ」

「では覚えておいてください。これは武略というのです。口が達者なお転婆姫には朝飯前でしょう」

子供のように口を尖らせる主にヴァルターは大笑する。
談笑に興じながらも、共に周囲への警戒は怠らない。口が裂けても言えないがフィーリアにとっては、
この緊張感も堪らないのだ。

遠乗りや狩りでの“事故”は付き物。過去、幾人もの要人が遊戯の最中で凶刃に斃れてきた。
しかし、騎士が主代わり、狼藉者を手討ちにすることもよくある話だ。
おとぎ話や英雄譚の中では、王自ら迫りくる暗殺者に立ち回りを演じることもままある。
だが実際にそれを行った王はどの程度いるだろう。ましてや王女などに。

「私も国一番の騎士の武略を拝聴したいものです」

背後から二人を見守っていたユークレースが轡を並べる。
軽く目配せすると、何事も無かったかのように通り過ぎた。
周囲に敵はいないということだ。残念、とお転婆姫は王女にあるまじきことを考える。
ユークレースと共に狼藉者を斬り捨てたことは記憶に新しい。

これがもし、ヴァルターであったら、己の不明を恥じ、王女に剣を抜かせたことを悔いただろう。
だがユークレースは違った。見た目の麗しさは内心を測るに、如何ばかりの助けにもならない。
彼は美しく捻じくれていた。歯の欠けた櫛のように歪で、その武芸と同じく常人からかけ離れていた。

殿下は戦っている姿が最もお美しい――!

血刃を振りかざす王女に送った賛辞がこれだ。
フィーリアは自分を棚に上げて思った。天才はやはりどこか頭がおかしいのだ、と。
良識ある騎士のヴァルターも、この天才を苦手としているのか、さり気なく距離を採る。

「殿下、ディトリッシュ殿が待ちくたびれておりますよ」

「いいのよ。待たせておけば」

「おやおや、何かお気に召さないことでも?」

周囲の警戒、といえば聞こえはいいが、実の所一人で遠乗りを楽しんでいるのではないかと疑っている。
一度、聞いてみたこともあるが、しれっとした表情で、
粉骨砕身でお仕えしておりまするのに、疑心を抱かれるのはあまりにも無念でございます、
と芝居がかった口調で誤魔化されて終いだった。

「いいえ、私は何て良い騎士たちを得たのだろうって毎日のように騎士王に感謝しているわ」

「殿下は退屈されているのですね」

そのように殊勝なことを仰るときはそうでしょうと、ユークレースは言ってのける。
ヴァルターはぎょっとしてフィーリアに視線を移した。
が、既にお転婆姫の姿はそこにない。一瞬早く手綱を握って駆けだしていた。
素早く景色が入れ替わり、ふわりと豊かな髪が羽のように舞う。
フィーリアは一息でディトリッシュ元へ辿り着く。

「お待ちしておりました。殿下」

ディトリッシュは笑顔で主を迎える。

「ねえ、ディトリッシュ、あそこの森までどちらが早いか競争してみない?」

「ええ、喜んで」

言うが早いかともに駆け出す。

ユークレースの退屈しているとの言葉は間違いではない。
王宮の中で政務に没頭することは嫌いではない。考えることが多すぎて退屈を覚える暇も無いからだ。
しかし生来の気質故、重いドレスと共にソファへ縫い付けられるのは堪えがたかった。
目の前には執政官、傍らには侍女、部屋の外には衛兵、まるで換気窓さえも塞がれた部屋のようだ。
刺激を求めるであれば、見目の良い騎士たちと火遊びに耽ればいい。
ヴィンフリートをして、そちらの方がましだったと言わしめたほどに、フィーリアの遊びは苛烈だった。

舌を噛まぬよう歯を食いしばりながらも、フィーリアは自分が笑っていることを知っている。
舞踏会では到底見せられませんわね、とエクレールが嘆く笑みだ。

(私は戦うのが好きなのよ――)

敵だらけの政界に放り出されるまで、気が付くことも無かった己が悪癖。
競うこととは違う。男たちの出世欲ともまた異なり、他者を見下ろして悦に浸ることとも異にしている。
全てが無となり、ただ個として相対する瞬間。限界まで研ぎ澄まされた技の交錯する刹那。
あの瞬きほどの時間は何物にも勝る。

既に命の遣り取りも済ませ、相手の生を終わらせたこともある。
ここの三人だけがそれを知っている。それぞれ、口では自重を求めるものの、
お転婆を通り越した剛毅な姫君に、どこか胸の空く思いを抱いているようだった。
あの良識あるヴァルターでさえもだ。

(だって皆戦うのが好きなんですもの)

騎士の業と云うものだ。
愛馬の鼻が名馬ゴドルフィンの先を行く。
が、それも一瞬。人馬共に負けることを潔しとしない誇り高い性格故か、
表情が一瞬にして競争者を追うそれとなる。まずい、と思う暇もなく追い抜かされる。
その後は追いつくことなく、ディトリッシュにまたもや勝利を譲ることとなった。

「よくやってくれたわね。貴方は立派よ。アルバートル」

負けて消沈している愛馬を労ってやる。

「やはり殿下は、手綱を握っている時が最も美しくいらっしゃる」

ユークレースに勝るとも劣らぬ美貌の男に美しいと言われて悪い気はしない。
が、それに勝利者の余裕が伴っているとなれば別である。
この、女を溶かす媚薬の様な笑みがどうにも憎らしく見えてきた。

「貴方も、馬に跨っている時が一番凛々しいわよ。もっともゴドルフィンの方が美しいけれど」

「それは光栄です。我が愛馬も殿下にお褒め頂き嬉しく思っている事でしょう」

「さっきより熱が籠っていらっしゃらない?」

気の所為でしょう、とやはりしれっと言い切り、ディトリッシュは馬首を返した。
フィーリアもそれに倣う。丘の上から二つの馬影が近づいてきているのが見えた。

「そろそろ戻らないといけないわね。また退屈な騙し合いの場に。
王の試練で私の首は繋がったけれど、まだるっこしい手段だとつくづく思うわ」

私直々に槍試合をふっかけられるのであれば別だけれど、と付け加える。

「執政官殿が卒倒してしまわれます」

「でも、所詮興行だわ。本物じゃないのよ」

会場があって観客が詰めかけて、売り子が酒を売り、娘たちが黄色い声を上げる。
意匠を凝らした甲冑を見せびらかす騎士たち。
槍試合を観戦するのは嫌いではない。が、騎士の本分ではないと思う自分もいる。

「同感です。騎士の本分は戦場にこそあります。覇者こそ支配者足りえるのです」

その美しい容貌からは想像もつかないほど苛烈な言葉を吐く。

「それは貴方たち闇の流儀かしら」

「人の国に押し付けるつもりはございません。人には人の流儀があると思います。
しかしながら、騎士の騎士たる所以は武働きにこそでしょう。その王であるならば尚更です」

王の力は武力である。覇者たれ、強くあれ――。
恐らく闇の者たちの考えはそれだ。ディトリッシュも含めてそうなのだろう。

「おいおい、殿下に余計なことを吹き込まんでくれ」

追いついてきたヴァルターが口を挟む。

「お転婆姫がますます手に負えなくなってしまうぞ」

「既に殿下は我らの範疇を越えておりますよ」

そうでしょう、とユークレース。

「そうね。どんな王様になるかはまだ決めていないけれど、
とりあえず、騎士の国の名に恥じない武芸を磨いていきたいと思ってるわ」

「もう玉座をおとりになった気分で?」

ディトリッシュは笑い交じりに問う。

「当たり前でしょう。私は勝つもの」







「それでこそ殿下です」

最初に発せられたのはユークレースの手放しの称賛。
白い頬に赤みが差し、フィーリアへ陶酔した視線を送る。
一切の迷いも無く言い切った王女は笑みさえ浮かべていた。

状況は一進一退。決して楽観視できるものではない。
領土を掠め盗ろうとする隣国の動向を気にしながらの多数派工作は、決して楽なものではなかった。
しかし、どれほど不利な状況であっても勝つと言えねば人はついて来ない。
たとえそれがか弱きご婦人であっても、戦をするとなれば勝つと勇ましく吼えねばならぬのだ。

それに、恐らくフィーリアは本気で自分が負けるなどと思っていない。
世知に疎いゆえの傲慢さではなく、自分と配下の騎士たちに強い確信を持っているのだ。
ディトリッシュも強く頷く。

「頼もしいお言葉です。お仕えする甲斐のある方だ」

既にお転婆姫の行状は広く知られており、民衆受けは良いものの、肝心の貴族の反応は冷ややかだ。
王女殿下は宝石やドレスよりも良く走る名馬がお好みなのだ、と変人扱いだ。
王女といえど、よくまあそんな小娘に仕える気になれたものだ、と陰口を叩く者もいる。

(何が分かる――!)

と、ヴァルターは思う。
人の心を動かせなければ王にはなれぬ。フィーリアの言葉は人を信じさせる力がある。
戦うことへの貪欲さは生きることへの飢え。
風聞に惑わされず本質を見ようとする目も、時代を駆けていく足も、
逆境に折れぬ心も、全てがフィーリアが王であると指し示している。
だから、仕えているのだ。決して先王の遺児だから、の理由ではない。

「さて、そろそろ帰らなくちゃ。またヴィンフリートからお小言を頂戴してしまうわ。
聞いてよ、ヴィンフリートったら。
これ以上お転婆姫の風聞が広まったら婿のなり手がいないって言うのよ。失礼な執政官だわ」

「それは、また……」

ヴァルターは答えられなかった。不敬にあたる罪を犯してしまいそうだった。

「だから言ってあげたわ。私より弱い男を婿にだなんてこっちから願い下げよって」

いかにもフィーリアらしい、と苦笑する三者。執政官の苦い顔が目に浮かんだ。
ふと、ヴァルターは視線を感じる。何故かフィーリアがじい、とヴァルターを見つめていた。
次いで、ユークレース、ディトリッシュと視線が移っていく。

「その点貴方たちは安心よ。馬術も剣術も、槍試合だって勝てた事がないのだもの。
本格的に嫁き遅れそうな時は、貴方たちを頼みにするから」

「ご冗談を……」

「冗談じゃないわ。
貴方たちのような武勇に秀でた騎士を婿に迎えられるなんて、女の誉れよ」

ヴァルターに真っ直ぐな視線を寄こす。平静を装うとするものの動揺が隠しきれない。

「だ、だから、そのようなことは……」

下手な男よりも剛毅な王女が、女であると実感させられるのはこのような時だった。
どこ吹く風のユークレースや、曖昧に微笑むディトリッシュに比べ、己の体たらくが情けなくなる。
不意に、フィーリアが堪えきれないと云った風情で肩を震わせる。

「殿下……?」

「ええ、冗談よ。でもひやりとしたでしょう」

「お戯れが過ぎますぞ!」

「嫌ね、怒らないで。これは武略というのでしょう?」

ねえ、とユークレースに向き直る。

「早くもヴァルター殿の教えを実践されましたか。お見事です」

「おいおい、俺の所為なのか……?」

助けを乞うように、沈黙を守るディトリッシュに視線を投げる。
苦笑しつつも、そつの無い騎士は同輩に助け舟を出した。

「殿下、そろそろ本当に城に戻らねば、またお叱りを受けることになりますよ」

「そうね。名残惜しいけれど戻りましょうか」

フィーリアは馬首を返した。三人の騎士もそれに倣う。
先頭に立ったフィーリアは首を巡らし、背後の騎士たちを一瞬顧みると、馬腹を蹴って駆けだした。





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