鏡よ、鏡


欲しいものはと聞かれたから、綺麗な布が欲しいわと答えた。

冒険に出た彼が戻ってきた時、手には山ほど布を抱えていた。
彼の後ろに続く荷馬車には光を受けて輝くラシャや飾り糸が店を開けそうなほど積まれていた。
まるで虹のよう、と目を細めて、彼の冒険を称えた。

フィーリアはザカートの口から放たれる宝石のような冒険譚をうっとりとした面持ちで聞いた。
嘘か真か考えるのは無粋だ。城から離れられぬ女王の心を慰めようとする気持ちは真だ。
話の後は、宝物を広げて、戯れて、二人で絡み合って時間を過ごした。


フィーリアが目を覚ました時、隣にザカートの姿は無かった。
起き上がって辺りを見回す。床は金銀細工の装身具や象嵌の小物、
見たことの無い楽器や、木製の杯や家具、化粧箱が埋め尽くしていた。
壁と云う壁には異国の絨毯、それでは足りぬと言わんばかりに部屋中にとりつけた紐からは、
柔らかな布がつりさげられている。まるで色の付いた波に囲まれているようだった。

「ザカート?」

フィーリアは宝物庫と化した部屋を見回す。
まさか、私を置いてもう行ってしまったのだろうか。
フィーリアは眉根を寄せる。そうだとしたら彼は何と薄情な人だろう。
手近な布を引っ張り体に巻きつける。異国の匂いがした気がした。

毛織物を植物で染め上げ、草木模様が縁取りに刺繍されている。
城のお針子が束になっても、これほど精巧な模様は出来ないだろう。
本来は別の国の王族に献上されるものを秘密裏に頂戴したのだといっていた。

そのような由来の品を手に入れるのに、どのような手法を使ったのか。
あのザカートと云う男は実直そうな見た目に反して、渡り鳥のように奔放な男だ。
宝の為であれば平気で女を籠絡しようとする憎らしい男なのだ。
恋の奴隷となった女がどんな気持ちで待っているか考えもしないくせに――。
足元の壺を軽く蹴飛ばす。

「こちらです。陛下」

そこかしこに吊り下げられた布の所為だろうか。声が反響し、所在が分からない。
フィーリアの目の前にあるのは赤い薄布。向こうの景色が透けている。
重ねて使えば花びらのように繊細な裾飾りになるだろう。
この向こう側から声が聞こえたような気がした。
しかし、持ち上げた先には今度は白い布がつりさげられていた。
ふう、と溜息を吐くと白い布が揺れる。吐息に色が付いたかのようだ。

「どこにいるの。私の冒険者様」

どこからか低い忍び笑いが聞こえる。窓のある方からだ。
そっちね、と体を向ける。刹那、部屋中の布と云う布が舞いあがった。
部屋に風が押し寄せる。珊瑚や蒼玉、真珠や黒曜石、新緑や黄昏。
フィーリアの知るこの世のあまねく美しい色が視界を染め上げる。

そう言えば、眠りにつく前にザカートに言った気がする。
貴方の見ている景色を一度でいいから見てみたいわ、と。

「これが答えなの?」

返事は無い。それとも言葉は不要だということか。
フィーリアは風に身を委ねることにした。肩から羽織っていた布が滑り落ちる。
ドレスもコルセットも無い露わになった姿は存外気分が良い。
布が触れるのも、優しく撫でられているようで心地よかった。

「気に入って下さいましたか?」

「貴方が羨ましいわ、ザカート」

布の隙間を縫ってザカートが現れる。
足元に落ちていた布を恭しく拾い上げ、再びフィーリアの肩に掛ける。

「よくお似合いです。こればかりは帰って来なければ見られない」

ならばもう少し頻繁に城へ戻ってはどうか、と言い掛けたところで止める。
代わりに澄ました顔をして微笑んでみせる。

「知ってた? 私が貴方と会う為におめかしにどれだけ時間を掛けているのか」

「貴女はどんな御姿でも美しいですよ」

ザカートは布を手に取り、赤や青を白の上に重ねていく。
フィーリアは曖昧な笑みを浮かべる。
褒めているつもりなのだろう。しかし女にしてみれば何とも甲斐の無い言い草だ。
一方で、女の扱いに慣れた冒険者がこんな失言もするのか、と少し可愛く思えた。

「次の冒険はお決まり?」

「さて、何かお望みはございますか?」

「そうね……そろそろ夫を迎えてはとせっつかれているから、
野心を抱かない清廉潔白な婿殿と言ったところかしら。見目麗しいと尚良いわね」

わざと意地悪な物言いをする。案の定ザカートは苦い表情をする。

「酷なことを仰る」

「冗談よ。国内外の貴族や王族から求婚されているのは事実だけれどね」

フィーリアは白を脱ぎ捨てる。婚礼衣装を着るにはまだ早い。
嫌いな色は無いけれどやっぱり青が好き。ザカートから離れ青地を肌に合せてみる。

「陛下」

不意に背中からザカートに抱きしめられた。囁きが耳をくすぐる。
本当に調子の良い人と内心で溜息を吐きながらも、頬が熱くなるのを止められない。
私はこの人に甘いのだ、と自分に呆れる。

「私の冒険をお認めになって下さるどころか、
こうして待っていて下さることには、感謝してもしきれません。
ご恩には必ず報おうと心に誓っております」

「嬉しいけれど、少し怖いわ」

「何故?」

「貴方の語る冒険も、貴方の見る風景も、とても魅力的だからよ」

フィーリア、と耳に熱い吐息がかかる。
動けなくなった体を見逃さず、腰にまわっていた手が正面にまわった。
フィーリアは身を固くして、露わになった肌を抱きしめる。
ザカートは不服そうに眉根を寄せた。

「私を労って下さるのでは?」

「もう充分労ったわ」

「つれない方だ」

口ではそう言いながら手は止めない。やんわりと腕を押入り色づいた頂きを撫でる。
ぴったりと合せた大腿にもすんなり侵入する。
浅黒い腕が白い肌の上で別の生き物のようにうごめく。

「ザカート」

先ほどよりも強めに咎める。
こんな姿を人に見られたら言い訳もできないわねと考える。
火遊びも大概に、と側近からもう何度も釘を刺されているのだ。

「陛下が好きなのは私ではなく、私の冒険譚なのですね」

「そんなこと、ないわ…」

「貴女がそう仰るのならば信じましょう。
私の一番の褒美は陛下のお慈悲を賜ること、と申し上げたら信じてくださいますか」

答える前に口を塞がれる。私は本当にこの人に甘い。
二人はもつれ合い布の上に倒れ込んだ。



戻る


inserted by FC2 system