12

城が攻められてから十日が過ぎた。静かなものだった。
あれ以来襲撃はなく、領内の闇の者たちが黒貴族の動きに呼応したという報せも無かった。
闇の者たちは黒貴族を恐れこそするものの、救い主だとは決して思っていない。
また例の遊びが始まった、と既に幾度も裏切られてきた者たちは冷ややかだった。

領主たちも表向きは静寂を保っていた。
型式的な見舞いの書状は大小問わず数多の領主から届いた。
が、人や物の支援を表明した者は片手の指の数にも満たなかった。
皆、怯えながらも様子を窺っている。既に黒貴族の脅威は遠い昔。
王家が盾になるならばそれでよし、ならぬならば自身の身の振り方を考えねばらなぬ、と
未だ高みの見物を決め込んでいる。

やはり小娘が城主であるから付け込まれたのだ、という声が絶えず聞こえてくる。
一方で闇を退けられるのは王家の血筋を引くもの以外にありえないという声も大きい。
趨勢だけで語るならば最早王女派の有利は疑いようがない。
しかしながら宰相は依然として国内外に強い影響力を持っている。
フィーリアの敵は多い。

「――宰相は様子を窺っているのでしょう」

ヴィンフリートはそう語る。
彼とて人の子。闇に支配されることは本能が拒否する。
が、王女の有利になることも避けたい。だから様子を窺っているのだという。

「あわよくば共倒れして欲しい、と?」

「盾として存分に利用したいというのが本音でしょうね」

苟もターブルロンドの貴族が、と珍しく感情を露わにする。
フィーリアは苦笑する。

「騎士の本分ね。光栄だわ」

ヴィンフリートは不意を突かれたような顔をする。

「ごめんなさい。不謹慎ね」

「……いえ、確かに仰る通りです。献身こそが高貴なる者の証。
民も自ずと知っております。今、誰が最も王に相応しいかと」

そんなに大袈裟に言わないで、と返すとこの生真面目な執政官はばつが悪そうに咳払いをする。
ヴィンフリートを前にしても、以前より自然体で居られるようになった。
それは、少しだけお互いの気持ちを曝け出したからであろう。
フィーリアは、長年抱いていた澱みの一部を。ヴィンフリートは忠誠心で隠した情と虚栄心の一端を。
人とは単純なもので、ほんの僅かなヴェールの一端を捲りあげただけでも、
空を覆う厚い雲が永遠に吹き飛ばされたかのような気になってしまう。

ディトリッシュに促されたことは正しかったのだと思う。
冷厳な執政官、生真面目な乳兄弟、いつしかフィーリアは彼を恐れていた。
いつ見限られるか、政治家となった彼の目に自分はどのように映っているのかと。
ヴィンフリートも話してくれた。
フィーリアの苦悩を何一つ汲み取ることができなかった自分に酷く失望し、
顔を合わせることができなかったと。
それを聞いた時は驚いた。呆れられたとばかり思っていたからだ。
話をしなければ、永遠に誤解したままだったのかもしれない。

「城内の様子はどうかしら」

「落ち着きを取り戻しております。侍女たちの管理はエクレールに一任しております。
彼女も元気になったようです。喧し過ぎると騎士たちから苦情が上がっているようですが」

「騎士たちはどう」

「多少血気盛んなのは騎士の性でしょうか」

暇を願う侍女や下男も現れながら、馴染みの者は皆残った。
騎士たちも同様だった。皆、士気は変わらず高い。
期せずして得た闇との戦いで、箔を付けられたと喜ぶ者も居れば、
最早人間相手の戦いなど恐るに足らずと威勢のいいことを言う者も居る。

「まあ、頼もしいわね」

蛮勇に過ぎません、と窘めるように告げる。
とは言いながらも、大言壮語を吐きながら給金だけ頂戴して消える輩もいるのだから、
この程度の虚勢など可愛いものであると思わなければなるまい。

「やはり、気にされますか」

「え」

二の句が継げぬままでいると、ヴィンフリートの方から切り出してきた。

「ディトリッシュ殿もお変わりなく。他の騎士たちとの軋轢も目に見える形ではございません。
これは全ての騎士にも言えることですが、戦場を同じくしたことから、連帯感のようなものが
生まれているようです―――殿下?」

「意地悪よ。ヴィンフリートは」

恥ずかしさで目を逸らしながら抗議する。
怜悧な執政官は、怪訝な表情をするばかりで察することは出来ない。

「今は、義務を果たす時だから、知りたかったけれど、私はずっと我慢していたのに。
本当は今すぐにでも会いに行きたいのよ」

だのに、王佐の才は主君の決意を簡単に溶かそうとする。
恨みがましく見つめると、ヴィンフリートは一転して狼狽えだした。

「も、申し訳ございません。浅慮でございました」

「小父様によく似ているわ」

「お戯れを……」

フィーリアは首を振るう。

「小父様は、お父様によく私の話をしていたそうよ。失敗談も含めて。
ドレスの裾を破いてしまったこととか、リボンを失くして泣いてしまったこととか。
侍女の話す怪談が怖くて、貴方に泣きついたこととか」

「別に、よろしいではありませんか」

幼子のしくじりは可愛らしいものだ、と言わんばかりだ。

「よろしくないわ。私、本当に恥ずかしかったのよ。
だから、そっくり。二人とも、肝心なところでデリカシーに欠けるんだから」

「無骨な男どもの一家です。当家を代表してお詫び申し上げます」

からかわれている、と感じふいと目を逸らす。
こうして砕けた話をすることができるのは喜ばしいことだが、未だに子ども扱いされていることを、
直に感じてしまうのはあまり愉快なことではない。

(ディトリッシュなら――)

そんな風に言わない、と内心で拗ねる。
ふと思った。二人はどことなく似ていながら、実の所は全てが異なっている。
共に母はおらず、父と子。しかし一方は、凍てついた氷山のように冷えた間柄だ。
どれほど生き方を違えようとも確かな絆で結ばれる父子がいる一方、
僅かに残った同胞の一人でもありながら殺し合う者たちがいる。

財産、女、領地、出生。数多の理由から父子は対立し、時には剣を交える。
フィーリアとて為政者の端くれである。全ての親子が慈しみ合う関係ではないことを理解している。
けれども、憎み合う為に子を成す親などおるまい。

(ヴィンフリートにならば)

再び顔を合わせる。ヴィンフリートは微かに眉根を寄せた。

「貴方にだけは話しておこうと思います」





嘘が吐けないということは果たして美点であるのだろうか。
どれほど特異な環境下であろうとも、人とは慣れてしまう生き物で、
フィーリアの為政者としての振る舞いも板についてきた。
それは同時に方便や取り繕いに長けるということも含まれているのだが、
緊張が緩むとどうしても素の感情が表に出てしまう。

フィーリア自身、元より感情や欲求を内に押し込めるきらいがある。
少し前に長年気持ちを閉じ込めていた檻が破れ、一騒動あった。
幸い大事に至らなくて済んだが、フィーリアを含めた当事者たちは深く己を省みることとなったのだ。

以来、過剰にならない程度に、側近たちはフィーリアに心を配っている。
だから目に見える形で吹き出しているということは、喜ばしい事でもあるのだが、
同時に余りにも素直すぎて、心配にもなってしまう。

今この時、フィーリアは明らかに隠し事をしている。恐らく自分に関わる何かを。
隠し事と言えば語弊があるかもしれない。フィーリアは見るからに話したがっている。
しかし、如何に切り出せばよいのか探しあぐねていると云ったところだ。
そして、誠に話しても良いのか、このまま胸に秘めておけばよいのではないか、と逡巡もしている。
それが後ろめたさとなり、フィーリアの顔を曇らせ、気もそぞろにさせているのだ。

(これは、切り出して良いものなのだろうか――)

ディトリッシュは思案する。
こうして召し出されるのは一度や二度のことではない。
純粋な逢瀬としてのこともあり、また為政者として助言を求められることもある。
決めるのはフィーリアであるが、此度はまだ障りの無い話しかなされていない。
やはり迷っているということなのだろう。他の騎士よりも多くのことが許されているとはいえ、
踏み込んで良いものなのかと躊躇う。

「お加減は、よろしいのですか」

え、とフィーリアはカップに手をかけたまま呆けた表情をする。
為政者が板についてきたとはいえ、斯様な仕草は愛らしく、まだ少女の域を脱していない。

「少しでもお心が軽くなられるならばと」

フィーリアは黙したまま視線を落とす。
目を合わせてくれないのは存外に悲しかった。

「ごめんなさい。上手く言えないの。貴方にどう話したら良いのかわからないわ」

「無理にとは申しません。私でなくとも、他の者に打ち明け下さいませ」

「ええ。ヴィンフリートには打ち明けたのだけど……」

沈黙が下りる。
人払いがされ、賑やかな侍女がいなくなれば、そこからは二人の世界だ。
にも関わらず、時折言い様の無い寂しさが湧き上がることがあった。
荒涼とした原野でも手を取りあえる者がいれば斯様な感情とは無縁だと夢想していた。、
しかし、手を取っていながら目を背けられるのは孤独以上に堪えることであると今は理解している。

(私も中々――)

分を弁えない男だ、と胸中で呟き、胸を焦がす嫉妬を嗤った。



フィーリアは意を決した。
あの男にまつわる秘密を持つことは、ディトリッシュにとって裏切りになるような気がしたからだ。

(たぶん、傷つけることになる――)

この選択が間違いでなければ、と祈るような心地で口を開く。
彼の、夜の色の瞳を覗き込む。夜の闇は恐ろしいというのに、不思議と心が落ち着く。
闇であれ光であれ、玉であれ土くれであれ、寄り添う心は等しいのだと思う。

「ヴィンフリートに尋ねたわ。
貴方は、お父様と道を違えることになって辛くは無いのかしら、と。
彼は答えたわ。生み育ててくれたことへの感謝と敬意は忘れることはない。
互いを理解し合うことはできないかもしれないが、その心だけは変わることは無い、と」

私は理解したかったの、とフィーリアは震えた声で語る。
彼の、表情が変わったのが分かった。

「何故、何故親子は理解し合えないのか。子を愛さぬ親、親を憎む子がいるのか」

ごめんなさい、と堪えかねたように席を立つ。
逃げるように離れ、背を向ける。逃げた先はカナリアの住む鳥かご。
カナリアは主人を慮るよう小首を傾げ跳びまわる。

「私は、また、あの人と会いました」

「それは、いつ――」

「襲撃から少し後よ。直接、私の前に姿を現したの」

あの人は何も変わっていなかった、とフィーリア。

「私に靴をくれたあの人のまま、とても残酷なことを言いました。
悲しくて、悔しくて、何よりもあの人の心が理解できなかったわ」

「父は、何を」

「とても、悲しいことを」

とても、話すことなど出来ない。
痛いほどの沈黙。



「私にも理解できたことなどありません」

席を立つ。数歩距離を縮めた。

「ディトリッシュ」

「ご無事で何よりです」

「ごめんなさい、私」

「執政官殿は貴方の問いに何と答えられましたか」

「子を愛さぬ親はいる、と。
貧しさや飢え、次々と襲い掛かる災厄で。故の過酷な生い立ち。
心が荒み、慈しみの心を忘れた者たちが、弱き者をまた虐げるから、
世には親にはした金で売られた子が溢れ、その子たちがまた心を失くした親になると」

「では何不自由なくあらゆる富貴を極めた者が子を愛さない理由は」

「愛し方を知らぬ、もしくは己のみを愛する者、と」

「ええ、そうでしょう」

「ディトリッシュ、私」

「真に本質を言い当てておられる」


「私は、私は、王女としてだけでなく、あの人が許せません」

細い肩が震え、声は掻き消える。
泣いているのか、と喉を詰まらせたその時、自分が能面のような顔をしていることに今さらながら気づいた。

(私は、何故)

これほどまでに平静なのだ。
お前は突きつけられたのだぞ。今の今まで目を逸らし続けた事実を。

(それとも私は)

最早心を凍らせてしまっているのだろうか。あの父のように。
他者から与えられる愛情を、路傍に積まれた石塊か何かのようにしか感じられなくなってしまったのか。
それは違う、と即座に否定した。
そうだとすれば、なぜ背を向けたまま涙を流す少女に哀れみと愛おしさを覚えるのか。

「お一人で背負われることではありません。むしろ、私こそが」

負っていかなければならなかったのです、と続ける。
フィーリアが苦悩すべきことではなかった。あの男にとっては全ては戯れだ。
それに――。

「こちらを向いて。フィーリア」

躊躇う様を見せた後、目元を袖で覆ったまま控えめにこちらを向く。
努めて優しく手に触れ顔を晒させる。涙の痕は既に無く、青地の袖に小さな染みが広がる。
フィーリアははにかむでも無く、真っ直ぐに青い瞳を向けた。

「貴女を脅かす者は等しく私の敵です。それが例え、肉親であろうとも」

「ディトリッシュ」

「私は父の誘いに応じようと思います」

手は離れぬまま、やがて力が込められそのまま繋がれる。
誘いとは居城への招待。すなわち、古の英雄のように身一つで乗り込んで来いとのことだ。
自らが滅ぼされるなど微塵も感じていない傲慢さ。それを支える人知を超えた魔の力。
過去の英雄ならばいざ知らず、半端者の己では万に一つも勝てる見込みは無い。
だが、それでもまたとない好機なのだ。

「ここで、貴方を引き止められたら……」

瞳が揺らぐ。公人と、ただの娘のフィーリアがせめぎ合う。
縋れるものならば縋りたい、と代わりに胸に体を預けた。

「どうか、刺し違えても、なんて考えないで。
父親の命を奪うという業は私も背負います。貴方が生きていける国は私が作ってみせる。
だから必ず生きて帰ってきて。
冷たくなった貴方を目の前にしたら、私はきっと悲しみと後悔でおかしくなってしまうわ」

カナリアの前で、愛を囁くように。
いつしか抱き合っていた。

「私の為に涙を流してくださる方がいてくれるのならば――」

生きて帰る。私には帰る場所があるのだから。



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