私のかわいい人形たち



試練は終わった。騎士王直系の血はここに途絶えた。
半ば内乱の体を見せた王の試練であったが、一貫して見えたのは王女は王になる気がなかったということだ。
それはどういうことなのか、と問われれば彼女に仕えていた騎士は一様にそうとしか言えないと答えるだろう。
それもそのはずであった。王女の手腕は見事ではあった。
主が不在になり、混乱していた王女領を国王崩御以前にもまして繁栄させた。
他国との外交も恙なくこなし、国内の混乱を決して表に出さなかった。
また闇の者との対立も最小限に抑え、先王の政策を踏襲し、種族を問わず才に優れたものを登用した。

だが彼女が行ったのはそれだけであった。
それだけ、といえば語弊がある。彼女は見事王としての役割を果たしていたのだ。
しかし王女が積極的に支持を取り付けようと動くことは無かった。
あくまで関心は自領の中のみ。国内で暴動が起きようが、山賊が現れようが不干渉を貫いた。
当然、主だった領主たちはよい顔をしない。
当初は王女を支持していた領主たちも次々と宰相へ鞍替えしていった。

そして王女は試練に敗北する。王位は宰相の手に渡り、王女はとある領地へ預けられた。
生涯をそこの領主の監視下で過ごさねばならない。不自由な身の上となる。
それだけならば寛大な処置であった。通常、王位を争い敗北した者は殺される定め。
命を助けたのみならず、幽閉もされずの蟄居処分。
事情を知らないものならば、誰もが宰相の慈悲深さに感じ入っただろう。

そう。王女の預けられた領地がベネジュロネットであり、
その領主が黒貴族趣味と悪名高きオベルジーヌでなければ。



王女がどうなってしまったのか。既に人々の関心は薄い。
下々の噂では王女は既に剥製となって領主の部屋に飾られていることになっている。
あながち根も葉もない噂でないことが恐ろしい。
あの人ならばやりかねないとエヴァンジルは思っていた。
かつて王女に仕えていた騎士は久方ぶりに故郷へ帰っていた。

安否を確かめて欲しい、との依頼は王女の侍女だった女性から受け取った。
今は彼女とも離れ離れになり、王女は一人見知らぬ土地で暮らしている。
女性の頼みは断らないと常日頃から嘯いているエヴァンジルは依頼を受けはしたものの、
もし王女が生きていなかった場合、如何に報告すべきか未だ決めかねていた。
王女が既にシジェルの門をくぐっていたら、彼女は迷わず後を追うだろう。
どうかオベルジーヌの趣味が万人に受け入れられずとも、平和な方向になっていますように。
そう願わざるを得なかった。

不吉な予感が脳裏を掠めながらも領主の館に到着した。
顔見知りの家人がエヴァンジルを招き入れる。家人に変わった様子は無い。
オベルジーヌのサロンに人が増える度、彼の老いは進行していく。
新たに雇ったらしい侍女が忙しなく動いているのが見えた。おそらく王女の為の者だ。
だとしたら王女はまだ無事なのだろう。エヴァンジルは心底安堵した。

家人に通されたのは領主その人の寝室であった。
かつてエヴァンジルもサロンに監禁されかけた経験がある為、どうしても警戒してしまう。
意を決して扉を叩く。中から鼻歌交じりの族兄の声が聞こえてきた。
どうにも入ってよいと言っているらしい。騎士の矜持を総動員し、エヴァンジルは扉に手をかけて、
魔窟に足を踏み入れる。

果たしてそこに待っていたのは、自慢の肉体を薄手のローブ一枚に包んだ族兄の姿だった。
何故か髪はきっちりと巻かれており、一族に共通した端正な顔立ちと相俟って、
ちぐはぐでひどく奇矯な美をそこに体現していた。エヴァンジルは心底げんなりする。
美しい女体ならばいざ知らず、何故男の逞しい筋肉を見なければならないのか。

「やあ、私のエヴァンジル。よく来てくれたね」

「あなたのものになった覚えはない。用件はわかっているだろう」

何度も繰り返されてきたやりとりを、ここでもまた懲りずに繰り返す。

「ああ。私のお人形さんのことだね。わかっているよ。そんな顔しないでおくれよ。
彼女は無事だよ。らららーとっても可愛らしく私の手で咲き誇っている。
お人形さんを私の手に預けてくれるとは、国王陛下が生前行った唯一の善行だと、
後世の歴史家に称えられるだろうよ」

オベルジーヌが飽かずに可愛がることができればの話だ。
収集癖のある者が共通して抱く悪癖に飽き性なことがある。
オベルジーヌもその例に洩れず、余程彼の気を引く人物でなければ、末路は哀れだ。
エヴァンジルは不吉な予想を振り払う。気を取り直すように口調を強める。

「殿下はどちらに?」

オベルジーヌは答えないどころか自作の詩を披露しだす。
エヴァンジルは苛立つ心を抑え、根気よく問いを重ねようとした。
ふとオベルジーヌが趣味の悪いベッドに視線を送っていることに気がつく。
そしてエヴァンジルは見た。紫色のシーツの裾から白いものが覗いていることを。
脚だ、と理解した瞬間、頭の中で警鐘が鳴った。

もしかしたら、何もかも手遅れだったのかもしれない。
王女は既にあちら側に行ってしまったのではないかと。

脚が引っ込む。頭まで被っていたシーツが取り払われる。
白い首と鎖骨が紫色の帳越しにはっきりと見えた。
思わず息を呑む。どれほど妖艶な美女を描いた絵でもこれほどの妖しさを秘めたりはしない。
同時に羨ましくも思えた。奇矯な族兄はこの美しくも妖しい少女を独り占めにしているのだと。

シーツの下から現れた豪奢な金色の髪は紛れもなく王女のものだった。
王女は半身を起こし、気だるげな瞳にエヴァンジルを映す。
少女は首を傾げた。何故、あなたがここにいるのか、と問うているかのように。
その仕草は試練の最中の頃と何一つ変わっていない。年相応の無邪気な仕草だった。
それでいて胸から下を隠すシーツを弄ぶのは、男を誘っているようにも見えた。

「お久しぶり。エクレールは息災かしら」

まるで全てを見通しているかのような青い瞳。ぞくりとする。
たぶんオベルジーヌは彼女に骨抜きにされている。
その証拠に目を覚ました王女へ、かしずき、指先に口づけしているではないか。




「ごめんなさいね。見苦しい格好を見せてしまって」

オベルジーヌの選んだドレスを着て、彼の好みの香水を纏い、茶を飲む。
最早完全にオベルジーヌの愛人だ。見下げ果てるべきなのか、おそらく失望するべきなのだろう。
美しく、聡く高潔な王女が権力争いに負け、一地方領主の愛人に収まっているのだから。
彼女は王位などに未練はないように見えた。全てに恵まれ、満ち足りた貴婦人そのものであった。
誇りと共に殉じるよりは安逸な一生を選んだというのか。

「また会えて嬉しいわ。私はこの屋敷から一歩も出られないから」

しかし彼女はあどけない笑顔でエヴァンジルを迎える。
見る者を魅了し、警戒心を解かせる王女の笑み。何一つ変わっていない。

「何か不便はありませんか。エクレール殿が心配していらっしゃいます」

「ええ。オベルジーヌにはよくして貰っているわ」

「その、彼は――」

「ふふ。最近は大人しいものよ。私が止めてといったら素直に止めてくれたわ。
あなたの美しいお人形は私だけで充分でしょと言ったら納得してくれたの。
あなたの兄様はとても可愛らしくて、おもしろい方ね。色々聞かせて貰ったわ」

彼は何と今は領内の視察に赴いているらしい。
少し前の彼ならば考えられないことだ。市井の埃にまみれることを何より嫌っていたというのに。
これも彼女がお願いしたことなのだというのだ。

「居候させてもらうのも心苦しいから、私も少しお手伝いはしているわ。
だから屋敷の中だけと云っても、それほど退屈はしないのよ」

「恐ろしい方ですね。あなたは。
王位に届かずとも、こうして一つの領地を手に入れてしまっている。
たぶんあなたのことですから、自由に動く手駒をいくつも用意しているのではないですか?」

「私は私の配下を手駒だと思ったことはありません。
もちろんエヴァンジル、あなたのことも。オベルジーヌだってそうよ」

「そう信じています。我が主よ」

「今でもそう呼んでくれるのね」

「ええ。あなたが、ただ一言玉座が欲しいと言えば大勢の騎士が駆けつけましょう」

そんな気は毛頭ないがこれは反乱を使嗾していることになるのだろうか。
エヴァンジルは俄かに背筋が寒くなる。どこに国王の間者がいるかわからない。
王女の方は、まあ、と悪戯を咎める母親のようにエヴァンジルをねめつけるばかりで、
あまり真剣に受け取ってはいない。

「私、今の生活が気に入っているのそんな気は無いわ。
それにね、ようやく手にした玉座よ。ディクトールが可哀そうじゃない。
若い頃から一生懸命で、誰かを愛する暇もなくずっと自分の力を信じてやってきたのよ。
そんな彼から玉座を奪い取るなんてできっこないわ」

「意外ですね。宰相――いえ陛下をそのように思われているなんて」

「ディクトールにしてみれば、これは全てを手にした者の傲慢さだそうよ。
だから私、ずうっと前から彼に嫌われてしまっているの。
私はディクトールのことが大好きなのに。悲しいわね」

ふふふ、と意味ありげに笑う。うすら寒くなる笑みだった。
自身の内心を見透かされぬようエヴァンジルは話題を変える。

「今の生活は、楽しいですか?」

「ええ、楽しいわよ。皆、私に優しくしてくれるの。試練の間では考えられないくらいに。
これが王様になったら大変でしょうね。今のように気安く話しかけてくれる人も、
こうして訪ねてきてくれる人もいないでしょうから。ましてや誰かに愛されることなんてきっと―」

エヴァンジルは何故彼女が試練に敗北したのか理解できたような気がした。
恐らく彼女は求めているものが年相応で、その明晰さは賢者のそれであったということだ。
王女は自らの求める小さな幸せを手に入れた。己が地位と政敵を最大限に利用して。

だとしたら彼女は本当に王そのものだ。
傲慢で、人の気持ちなど意に介さず、欲しいものは己の力で奪い取る。
古の覇王そのものだ。この小さな体の何処にそんな覇気が隠れているのだろう。
王女は美しかった。暴虐の美しさとでもいうのか。

「手の具合はどうかしら」

唐突に王女は尋ねた。エヴァンジルは思考から顔を出し、曖昧に誤魔化す。

「平気ですよ。描きたいものがありますから」

エヴァンジルの視線を受け、王女は嬉しげに微笑んだ。

「嬉しいわ。あなたに描いて貰えるなんて。オベルジーヌも喜ぶわ」

「お許しを頂けて何よりです。私の王の試練での心残りはあなたを描けなかったことだけですから」

王女はそっとエヴァンジルの利き手に自身の手を重ねる。
柄にもなく胸が高鳴った。どれほど零落れようとも彼女は未だに高嶺の花だった。
触れるのも手折るのも相当の勇気がいる。加えて先ほどの妖艶な姿。
王女である時の彼女では想像するだに畏れ多い、肌の白さ。
その光景はエヴァンジルの瞳の裏に焼き付いて離れなかった。

「無理はしないでね。あなたの手は宝物なのよ」

「勿体ないお言葉です。私の姫君」

少女の奔放さと母のような優しさに男はどうしようもなく惹かれる。
彼女は卑怯だった。これが計算であれば存分に酔うことができる。
しかし、この言葉は王女の誠の心から生まれ出でた言葉。酔うには甘すぎるのだ。

「ふふふ。ねえ、私のエヴァンジル」

「何でしょうか。私の姫君」

王女の瞳にエヴァンジルは息を呑む。
とろんとして情事を思わせる恍惚とした瞳。慌てて手を引っ込めようとするが離れない。
彼女の柔らかな手は想像以上の拘束力を有していた。

「私を描くのだったら。私のことを知らないといけないでしょう?」

エヴァンジルは正しくその言葉の意味を理解し、
次の瞬間にはさっと血の気が引いた。

「ひ、姫。どこでそんな言葉を覚えて来たんです。オベルジーヌですか?」

「いいえ。最初から知っていたわ。どうするの? 私は今からでも構わないわよ。
ちょうどオベルジーヌもいないことですし、私の部屋にいらっしゃったら?」

「私に、間男の真似をせよと?」

「たぶん、オベルジーヌなら喜ぶのではないかしら。
以前言っていたもの。私のエヴァはきっと君も気に入るだろうから抱いてみたらと。
でもきっと文句を言いそう。そんな楽しそうなことに何故混ぜてくれないのかって」

脳裏に白い肌が浮かぶ。私は果たして抗いきれるのだろうか。
彼女の瞳を見ていると渇きのようなものが胸の内を支配する。
本当にこの人は王の中の王だ。美しかった敬愛の念を戯れにもぎ取ろうとする。

「エヴァンジルは私のことが嫌い?」

「いいえ…。そんなことあるはずがないでしょう。
ただ不思議に思うのです。以前のあなたはここまで奔放ではなかったはずでは」

「私はね、王の試練が終わったら自分だけの為に生きようってずっと思っていたのよ」

王女はそっと席を立つ。はずみで重ねられていた手が離れた。
残り香も体温もひどく名残惜しい。
エヴァンジルは気づいた。今もこの王女への思慕は変わらずにあるということを。
そして、穢してはならない女神も今や地を這う人であるということも。

「姫、私はあなたのことがもっと知りたい。
あなたの小さな体の中に何が渦巻いているのか。どんな闇を飼い、光を抱いているのか。
私はあなたのことが知りたい。たとえ、あなたに軽蔑されようとも」

教えてあげる、と鳥が歌うように王女は言い放った。

「一緒に楽しみましょう。私のエヴァンジル。大好きよ」

素直に手を引かれ口づけを受ける。それはどんな媚薬よりも甘美だった。
あの白い肌もこの声も独り占めに出来る。その事実がエヴァンジルの冷静さを奪った。
王女を腕の中に収めて、口づけを深める。誰が見てようが構わなかった。
やはり彼女は恐ろしいと思った。こうやってあのオベルジーヌも骨抜きにされたのかと。
そして自分もまた。

「ああ、でもやはり…。オベルジーヌは抜きでお願いしたいのですが」

きっと楽しいわよ、と嘘か誠か王女は楽しげに告げた。



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