一体何だったのか


「とんだ茶番じゃねえかよ」

そんな悪態を吐いたのは、隻眼の騎士グイードだと後世の史書には記されている。
彼が咎められなかったのは、後の彼の事跡を見れば明白であった。
彼の言葉は当時の騎士たちの心を代弁したと言っても過言では無かったのだ。

この一年は何だったのか。王の試練とは何だったのか。
玉座を巡って争った王女―既に女王となった、と宰相の結婚式。
その祝いの席で、双方に仕えていた騎士たちは複雑な胸中を覗かせていた。
見方によっては納まるべきところに納まったのだとも言えないこともないがどうにも腑に落ちない。
憎み合って然るべきの二人。双方互いの破滅を祈っていたはず。
それが何故か夫と妻として婚礼衣装に身を包んでいる。これは一体どういうことか。

それも冷たい夫婦ではないところがまた奇妙だった。
政略結婚にありがちな達観し冷めきった空気は微塵もない。
それどころか、父と子ほどにも歳の離れた二人はぎこちないながらも互いを気遣う素振りを見せていたのだ。
これではまるで“夫婦”ではないか――!
ターブルロンドは上から下までこの慶事に怪訝な顔をした。
双方に仕えていた騎士は勿論、宮廷の侍女、各々を支持していた領主、蚊帳の外だった貴族と騎士。
納得していたのは当人たちだけという奇妙な結婚式だった。

「まあ何はともあれめでたい」

それを最初に口にしたのは酒場の店主だったと云われている。
そうだ、めでたいに決まっている。複雑すぎる胸の内を誰かに聞いて貰おうとやって来た騎士たちは一様に頷く。
騎士たちの悲願、我らが姫君を王の位に。それが叶ったのだ。
そして即位とほぼ時を同じくしての祝言。めでたくないはずがない。
相手が最大の政敵であった宰相でなければ、もっと純粋に祝う気持ちが湧いていたはずだ。
何故あの男?何度も煮え湯を飲まされ憎み合っていたはずの宰相と?
元はと言えばこの男の嫁になりたくなかったから、王の試練となったのではないのか。

「さあ。色々あったんじゃないですか?」

その一言で済ませられるならば、この一年は何だったのか。ふりだしに戻る。
事実は一つ、女王が宰相と結婚した、この一点のみ。

「何はともあれめでたい」

結局はこの言葉で締めくくられることとなる。
可憐な王女に淡い憧れを抱いていた騎士たちの心にはしばらく嵐が吹き荒れたという。
そんな騎士たちの心境を知る由も無く、女王フィーリアは新婚生活を大いに楽しんでいた。

「ねえ、次はどこに視察に行こうかしら」

謁見の合間に傍らに控える宰相へ語りかける。
女王の甘える風情の声音とは裏腹に、宰相はため息交じりで諌めた。

「しばらくは大人しくしていろ。先月もリベルに行ったばかりではないか。
護衛隊を組むにも追加の予算を組まねばならぬのはそなたも知っておろう。
後世の者どもに気紛れが過ぎる女王と謗られても知らぬぞ」

「だって折角新婚なのにどこにも行けないのよ。いいじゃない。地方の暮らしも見られて一石二鳥。
百聞は一見に如かずよ。玉座に座ったまま入ってくる情報より、自分の目で確かめた情報の方が
信用できるってあなたも言っていたじゃない」

「限度があると言っているのだ。大体王族の行幸など歓待する領主にとっては迷惑なことだ。
客室の改装や居館の修復。場合によっては建て直すことさえあり得る。
それで破産した貴族すらいる。余計な恨みを買いたくなければ、しばらくは大人しくしていろ」

「それは本当? ヴィンフリート?」

二人の会話を静かに聞いていた執政官は宰相の言を補足する形で肯定した。

「今はほとんどの領主が困窮していますから」

「それは良いことを聞いたわ。王家の直轄領を増やしたいって話をしたばかりだし。
杜撰な領地経営をしている所は破産させて接収しまえばいいじゃない」

可憐な口から悪どい企みが飛び出す。呆れた侍女が、それはあまりにも、と口を挟む前に、
政治に人生を捧げた二人の男たちがすかさず同調した。心なしか目が輝いているような気がした。

「となると問題は協会だ。領民どもが協会に助けを求めたら元も子もない」

「そうなる前に、如何に陛下の存在をアピールしているかが鍵です。
やはり行幸は良い手となります。民の前にお姿を現し誰が真の主であるか見せつければよいかと」

「家中で騒動が起こっている家が良いな。一方に肩入れして騒ぎを大きくしてやるか……」

「嗣子のいなくなった領主の家も効果的です。老人はとかく感傷的なもの。
直接お声を掛けさえすれば、陛下に領地を返上なさる貴族も多いでしょう」

何て腹黒い男たちなのでしょう。勝手にやってくれとエクレールは口を挟むのを諦めた。
我らが有能な宰相及び執政官の謀略劇場の幕を引いた本人である女王陛下はと云うと、
臣下の注意が逸らされているのをいいことに欠伸をしていた。

「そう言えばそろそろお昼の時間ね。エクレールはお腹が空かない?」

大物だ。二人の謀略劇場を余所に今日の昼食のメニューを予想している。
エクレールもフィーリアに倣うことにした。
先頃騎士から宮廷料理人に転職した男の作る料理は、女王のみならず他国の賓客をも唸らせる一品だった。
今日は何だろう。グラタンかミートパイか、仔兎のシチューか、キャベツの重ね蒸しか。
エクレールの腹の虫が鳴ったところで、女王が手を叩き二人の男の悪巧みを終わらせる。

「二人とも。そろそろ謁見を再開させましょう。いつまでも待たせては可哀想よ。
ディクトール。今日は昼食を一緒に採ろうって約束のはずよ。私楽しみにしていたんだから」

本当にあの一年は何だったのでしょう。間近にいるエクレールですらそう思うことがある。
年相応の少女らしく甘えた口調で父親以上に歳の離れた男に語りかける様に、複雑な心境を覗かせる。
宰相も宰相で不器用に優しく微笑みかける様は、これがあの血も涙も無い男がと周りの者に戦慄を覚えさせる。

「そうだったな。では早めに済ませるとしよう。執政官、謁見を再開させてくれ」

執政官の端正な顔にも微かな揺らめきが生じている。
長い付き合いのエクレールにはヴィンフリートの気持ちを理解できた。

「かしこまりました。次の者を御前に――」

言うが早いか謁見の間の扉が勢いよく開く。
それだけで誰が来たのかよくわかる。その場にいる者たちは女王を除いて溜息を吐いた。

「フィーリア! やっと会えたね! 伯父上との結婚式以来だよ!伯父上もお久しぶりです!」

アストラッドは玉座に続く絨毯を走って駆け上がって来る。
玉座に走り寄る前にさりげなくディクトール女王の前に立ちはだかる。
疑問符を浮かべ首を傾げる甥に宰相は努めて穏やかに語りかける。

「アストラッド、作法はどうした。陛下に練習の成果を御覧に頂くのではなかったか」

「あ、そうだった! ごめんフィーリアもう一度やり直させて」

フィーリアはにっこりと微笑む。

「午前の謁見はこれでおしまい。さあ皆お昼にしましょう」






「ヴィンフリートさんも一緒に来ればよかったのになあ」

アストラッドの呟きは誰にも同意されず空に消える。
夫婦とその甥は丸テーブルを囲みながら昼食をとっていた。
女王その人に誘われながらも、執政官が同席を遠慮した理由は考えるまでも無かった。
少しは成長したと思っても、まだまだオツムの方は暖かいままである。
エクレールは密かに嘆息した。この夫婦の前では給仕をするだけでも居た堪れなくなるというのに。

「このパイ包み焼き美味しいわね。ディクトールもそう思わない?」

急に話を振られ、ディクトールは視線を半ばまで食べたパイ包み焼きに移す。
にこにことした表情のフィーリアが見守る中、簡潔に答える。

「……確かに悪くは無いが。これがどうかしたのか?」

「私が料理人に言って作って貰ったの。あなたってあまり手の込んだ物好きじゃないから。
いつも顔をしかめながら食事してるって聞いて心配してたのよ」

ディクトールは面白くなさそうに目を逸らす。

「食材一つにかける費用を聞いたら誰でもそうなる。
近頃の料理人は食材ばかりに金を掛けて、肝心の腕の方は疎かではないか」

「ユークレースに限ってその心配はないわよ。天才って凝り性なんだから。
それにしてもこの人参もじゃがいもも美味しい。美味しい野菜を作れる人って尊敬に値するわ。
国の生産量を高める為に、いっそのこと温室も農園にしてしまおうかしら」

「……止めておけ。統治者の過ぎた美食は害悪だが、逆もまた然りだ。
吝嗇という評が立つのも面白くあるまい。それに、強いて私に合わせる必要も無い。
そなたは……好きなもの食べればいい。ささやかな楽しみだ。それで羽目を外し過ぎることも無かろう」

「安心して。王の試練の最中に質素な食事は経験済みよ。私だって殊更贅沢好きなわけでも無いですし。
それにこうして同じ席で同じものを食べられるのだもの。とっても楽しいわ。
でもあなたがそう言ってくれるなら、そうね……今度高価なお茶でも買ってみようかしら」

「亡霊領主からは買わんでくれ。あれは吹っかけてくる」

「あら? 私には相場より安く売ってくれるのだけれど。おかしいわね」

答えは簡単。空いた皿を下げながらエクレールは内心で苦笑いする。
かのサンミリオンの領主も大多数の騎士と同じく、この一年は何だったのだと思っている一人だということだ。
早くから支持を表明していた領主である。さすがに王女とあわよくばなどと思ってはいなかったといえども、
可憐な主君が敵の党首の妻となるのはさぞ面白くないに違いない。

「あのような男、とっとと昇天してしまえばよいのだ……!」

「まあまあ、いいじゃない。お茶を買ったら一緒に飲みましょうね。
揃いのティーカップのついでに買おうかしら。何だか夫婦みたいで素敵」

きゃあ、と恋する乙女さながら頬に手を寄せるフィーリアに、エクレールは顔がほころぶのを抑えられない。
やっぱり姫様は世界一愛らしい方と夫をさしおいて褒め称える。

「……みたいも何も、我らは正式な夫婦ではないか…。
全く、何をそんなにはしゃいでいるのやら…。あー……だが…そうだな…」

ディクトールは咳払いをして表情を引き締める。

「あまり一所の商人を贔屓するのは王として好ましくない。カップの方は私が揃えておこう。
目利き者を連れて行く故、失敗することも無かろう」

「駄目よ。あなたが選んでくれなきゃ」

頬を膨らませるフィーリアに、私がかと眉根を寄せる。

「知らぬぞ。どうなっても」

「あなたが選んでくれたものだもの。大切に使うわ」

見つめ合う二人。根負けしたのはディクトールの方であった。
小さく溜息を吐き、妻の頼みを承諾する。

「ありがとうディクトール。愛してるわよ」

何か口にしているわけでも無いのに、ディクトールは大いに咽こんだ。
フィーリアは夫にも愛の言葉を要求する。当然このひねくれ過ぎて歪み切った男が素直に言うはずもない。
そんな夫をフィーリアは無邪気な顔でじわじわと追い詰めていく。
言って。言うものか。夫婦でしょ。人前だ。お願い。そんな目で見るな。

何とも馬鹿馬鹿しい追いかけっこだ。ああ、とエクレールは嘆息する。
こんなやりとりを見てしまったら、フィーリアの騎士たちは暴動を起こすかもしれない。
エクレールの知る限り、フィーリアに思いを寄せていた騎士は一人や二人では無いのだから。
本当にあの一年は何だったのだろうか。

「ほへええ。フィーリアと伯父上ってこんな風に話してるんだ……」

忘れていた。やかましい少年騎士のことを。
アストラッドを以てしても、この夫婦の会話に入り込むことが出来ないのだ。
甘い毒気を振りまく二人は甥に目もくれず、じゃれ合いを続けている。

「あのお…アストラッド?」

「えへへ。二人が仲直りできて本当に良かった。すごく幸せそうだね」

「あら、落ち込みませんのね」

「変なエクレールさん。大切な人たちが仲良くしているんだよ。どうして落ち込むのさ?」

国内外に波紋を呼んだ女王と宰相の結婚式。
この複雑な状況を一番喜んでいるのはアストラッドなのかもしれない。
未だに純粋に喜ぶことが出来ないエクレールには少年騎士の笑顔は眩しいものだった。
つられてエクレールも笑う。未だに言えだの言わないだの遣り取りを続ける二人に呼びかけた。

「そろそろデザートをお持ちしますけど。よろしいですか?」




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