騎士と姫の寒い日の過ごし方

その日、偶然にも各地に散らばっていた騎士たちの幾人かが、ロザーンジュに帰参していた。
そこへ寒波と呼ぶほどでもない寒気が襲った。
要領の良い者は早々に仕事を切り上げ家に籠るか、喫茶店や酒場に逃げ込むかして暖をとり、
寒風の吹きすさぶ外を眺めながら暖かい紅茶を飲んでほっと一息吐くのだ。
ロザーンジュの主フィーリアもその一人だった。
日課にしていた庭園の散歩を中止し、部屋で侍女の淹れてくれた茶を飲む。
優雅だが退屈な時間が流れているのをフィーリアは感じていた。

「どなたかお呼びしましょうか?」

エクレールが気遣って声を掛けてくれる。
政務と勉強が終わっての、待望の自由時間のはずだった。しかしこの寒さでは外に出る気は起こらない。
厚着すればよいのだが、衣裳部屋の奥にしまった外套を持ってこさせるのもエクレールに悪い気がする。
騎士の誰かと話をするのも楽しいが、急な召喚はどうにも無理強いするようで気が乗らない。
こんな寒い日でなければ散歩している最中に誰かしらと話ができるというのに。
ようするに全てにおいて間が悪いのだ。急に訪れた寒風はフィーリアの楽しみも吹き飛ばしてしまった。

「たまにはこんな日もいいわ」

常日頃から淑女と名乗るには活発過ぎると評されるフィーリア。
ゆっくりと流れる時間を楽しむには、まだまだ成熟しきれていない。
大人ぶって澄ました返事をしたのは良いものの、エクレールには簡単に見透かされてしまう。

「外をご覧になったらいかがですか。何やら皆さん元気ですよ」

騎士に混じって剣の稽古をする王女の興味は即座に窓の外に向けられる。
そこには見慣れた配下の騎士たちが集まり、何やら歓談する姿があった。




「うー…寒いー」

そんな分かり切ったことを口にしながら鍛練場にやって来たのはアストラッドだった。
癖のある髪が寒風に遊ばれている。冷たい風がまた通り抜け、アストラッドは身を縮ませた。
いつも元気で屈託の無いアストラッドが寒さに負ける姿と云うのは想像できない。
現に彼は、口では寒いと云いながら、さほど寒そうには見えない。

「ご機嫌よう。アストラッド殿」

エリオットはアストラッドのことが好きだった。アストラッドはエリオットだけでなく子供全般に好かれる。
分け隔てなく街の子たちと一緒に遠慮なく子ども扱いしてくれる年上の騎士は、
まるでいつまでもやんちゃが過ぎる兄のようだった。

「あ、エリオット。寒いのに元気だね。鍛練?」

アストラッドの視線はエリオットの背後を向いている。
同じく親衛騎士であるディトリッシュとオーロフが手合せしていた所だ。
長身の影が剣を下ろした。ディトリッシュは寒さなど微塵も感じさせない所作で鞘に納める。
出自と冷たさを感じさせる容貌から、近寄りがたいと思われがちなディトリッシュだが、
その実細やかな性格で、目下の者には存外に親切に接してくれる。
今回も鍛練に混ぜて欲しいと頼むと、快く仲間に入れてくれた。

「お前もやるか? 温まるぞ」

ぬぅとオーロフの巨躯が影を作る。
闇の者が住まうターブルロンドの中でも人狼はさほど珍しくはなかったが、
このオーロフという人狼騎士はエリオットが今まで見てきた人狼の中でも特に大きかった。
その立派な見た目通り、頑健さは親衛騎士の中でも随一である。
性格は大雑把だが気は優しく、少々照れ屋な所為でぶっきらぼうな印象を与えてしまうのが玉に瑕だった。
その見事な毛並みの所為で、アストラッドと同じく街に出る度に子供に群がられる。
この寒い日には、ふさふさとした毛並みは特に魅力的に映る。顔を埋めてみたいと思ったのは一度や二度では無い。
怒られるだろうか。たぶん怒られるだろう。エリオットはぐっと堪えた。

「そうするよ。それじゃ、よろしく」

アストラッドは訓練用の剣を引っ掴み、オーロフに向き合う。
ディトリッシュはアストラッドと入れ替わるように退き、エリオットの隣に並ぶ。
先ほどまでオーロフと剣を交えていたはずなのに息一つ乱していない。

「アストラッド殿はいつも元気ですね」

「相反して執政官殿の元気は無くなるがな」

逆にヴィンフリートの機嫌が良い時はアストラッドの元気が無くなる。
まるで天秤のようだ。アストラッドに同情するか執政官の胃の心配をするかは人によって異なる。
ディトリッシュは堅物の執政官の心配をしているようだが、エリオットは違う。
ヴィンフリートのことは尊敬もしているし、師としても仰いでいるが、
肩を落として縮こまっているアストラッドを見るのはどうにも忍び難く、結局いつも彼の味方に付いてしまう。
他の騎士もそれで何となく色分けできてしまうのが面白い。

「ディトリッシュ殿は寒く無いのですか?」

「寒さは感じるが、人間のように風邪を引くことは無い。君は平気なのか?」

「子供は風の子です。家に居たら大人に追い出されてました」

ディトリッシュは口元に笑みを作る。
エリオットには、この、半分吸血鬼の血が流れている青年に、子供の頃があるということを想像できなかった。
吸血鬼とは云え人間と同じく二人の両親の間から生まれたのは確かであろう。
片方は、ターブルロンドでは知らない者がいないあの黒貴族。
黒貴族も自分の子供を叱り付けたり、遊んであげたりすることがあるのだろうか。
エリオットの幼い好奇心は青年の子供時代に向けられた。

「あの、ディトリッシュ殿はご幼少の頃、マンハイムではどのように過ごされていたんですか?」

思いもよらぬ質問だったようで、好奇心に目を輝かせたエリオットを不思議そうな面持ちで見つめる。

「マンハイムは夜の世界なんですよね。外で遊べないような寒い日はどう過ごされていたんですか?」

「確かに人間にとっては凍えるほど寒いが、闇の者にとってはさほどでもない。
だが、一年の内何度かは吐く息さえ凍ってしまいそうなほど寒い日がある。
そんな日は大抵暖炉の前で本を読んでいた。今と大して変わらないな」

君は、と促される。

「僕も今と変わりません。
寒さを吹き飛ばす為に街を一回りしてきます。走るのって気持ちいいですよね。
あ、この間、ヴァン殿と一緒に走りました。さすがヴァン殿です。付いていくのがやっとでした。
今度ディトリッシュ殿もご一緒しませんか? とても気持ちいいですよ?」

「……すまないが、遠慮しておこう。
オーロフでも誘ったらどうだ。体力が有り余っているのだから丁度いい」

「誘ったんです。でも、街に出ると子供に取りつかれるからって、断られてしまいました。
しかも間が悪いことに、最近街の子の間でオーロフ殿の毛をお守りにするのが流行ってるんです。
毛を毟られるからって、ますます街に出なくなってしまって……」

「…子供は恐ろしいな。確かに見事な毛並みだが」

「子供だけじゃなくて、何か買い物をするたびにお店の方にも毛を撫でられてしまってるそうです」

「オーロフにとっては迷惑な話だが、平和な証だ。
ロザーンジュ以外だったら我々はその日の宿にすら困るのだからな」

複雑そうな表情をするのは、ディトリッシュも似たような被害に遭っているからだろう。
その美麗な容貌の所為で何処へ行っても娘たちに騒がれる。
買い物をしようものならば、若い女の売り子たちが押し合いへし合いの、取り合いの引っ張り合い。
あのエヴァンジルに「羨ましさよりも憐みの方が勝る」と言わしめたほどだ。
ふふ、とエリオットは笑う。

「正直羨ましいと思います。
オーロフ殿は怒るかもしれませんが、僕も皆と一緒にしがみついてみたいです」

「やってみるといい。あれは……中々癖になる」

「ディトリッシュ殿はオーロフ殿で経験済みなのですか?」

「…その言い方は誤解を生むから止めて貰えないか。
思い出したんだよ。子供の頃、寒い日に城に来た人狼に暖めて貰ったことがあった。
人狼の半分は狼のようなものだ。狼は群れで暮らす。寄り添って暖をとるのが本能のようなものだ。
たぶんあれも満更ではないさ」

丁度手合せが終わったのか、アストラッドは肩を落として荒い息を吐いている。
オーロフには余裕が見える。勝ち誇った様子でアストラッドを睥睨していた。
不意にアストラッドがキッと顔を上げる。

「くっそー。体力ありすぎだろう…」

「へっ、やっぱ坊ちゃん育ちは軟弱だな。どうだ、もう一度やるか。ま、無駄だと思うがよ」

「何をー! くそ、オーロフなんてこうしてやる!」

言うが早いかアストラッドは巨体に飛び掛かった。
乱闘か、と身構えたが、予想は外れた。アストラッドは拳を振り上げることをしなかった代わりに、
そのふさふさとした魅惑の毛の中に頭を埋めたのだった。

「おい、何しやがる! 気持ちわりぃ!離れろ!」

「やーだよーだ。ふわあ、思った以上に柔らかくってふわふわして気持ちいいー」

「当たり前だ。ちゃんと水浴びはしてるんだからよ。って、そうじゃねえ!
おい、離せって言ってんだろうが!」

人狼の力でアストラッドを振り回すものの、虚しく雄たけびが響くばかりで、びくともしない。
どうしてこの粘り強さを手合せの時に発揮しないのか、エリオットは疑問に思った。
オーロフは助けを求めて、傍観者たちに視線を彷徨わせ始める。
最初に目が止まったのは、彼と同じく闇の者の青年だった。

「おい、すかした面してねえでさっさと助けろよ」

「それが他人に物を頼む態度か。ちょうどいい、エリオット。君もアストラッド殿に便乗してくるといい」

「いいんですか!? オーロフ殿」

「良くねえよ。お前も何言ってんだよ。っていうか、さっさと離れろこのバカが!」

「だめなの……?」

この場に居ない筈の声が響く。その場にいる全員が声の方を注視した。
あ、フィーリアとアストラッドが緊張感の欠片も無い声で呟く。

「姫さん……。何だって、こんなとこに」

「皆の楽しそうな声が聞こえたから来ちゃった。それよりもオーロフ」

ダメなの?とフィーリアの大きな瞳がオーロフを見上げる。
見られたくない所を見られてしまったと言わんばかりに、オーロフは目を合わせようとしない。
「何が」とやっとのことでオーロフは聞き返した。答えは分かりきっているはずなのに。

「私もオーロフに触りたい。アストばかりずるいわ」

「いや、あの……」

くしゅん、と可愛らしいくしゃみが響く。気が付けば、フィーリアはいつもの青いドレスのままだ。
上着も何も羽織っていない。いつも傍らにいるはずの騒がしい侍女も今回は姿が見えない。
上着を持って来る時間さえも惜しくなって、飛び出して来たと云ったところだろう。
仕方の無いお転婆お姫様。

「お願い。今回だけよ。初めて会った時からオーロフの毛並みがすごく好きだったの」

すごく好きだったの。自分に言われたわけではないのにエリオットはどきりとした。
しどろもどろになるオーロフにとどめを差すかのようにアストラッドが口を挟む。
たぶん彼は何も考えずに口に出したに違いなかった。

「もう、オーロフ。フィーリアを凍えさせる気かい? ほら、こっちこっち暖かいよ」

止める間もなく、アストラッドはフィーリアの手を引いて自身の隣に引き寄せる。
オーロフの脇の辺りにフィーリアの小さい体が収まる。そのまま両手を伸ばして毛皮に絡みつく。
当の人狼は腕を振り上げた体勢のまま彫像と化した。

「本当。すごく暖かくって気持ちいい。うーん…このまま眠ってしまいそう…」

「それはダメだ! 絶対ダメだ!」

「ほら、エリオットもおいでよ」

アストラッドが手招きする。エリオットは先ほどから黙っているディトリッシュを顧みた。
何故だか表情が険しい。整っている容貌と相俟って、余計に冷たさが増している。
急に気温が下がったような心地がして、エリオットは身震いした。

「どうした。行ってくるといい」

「あ、あのディトリッシュ殿……?」

「お、おい。さっきは悪かった。本当にすまん。だから助けてくれ! 頼む!」

オーロフは再び助けを求めた。が、ディトリッシュに一蹴される。

「何を言っている。光栄ではないか。王女殿下に暖をとって頂いて」

どう好意的な解釈をしても、剥き出しの棘は隠せない。
エリオットもオーロフの元へ行きたいのは山々だが、彼のあまりにも冷たい物言いに二の足を踏んでしまう。
何かが――エリオットにもわからない、何かが、この物静かな男の逆鱗に触れてしまったようなのだ。
オーロフはその理由に思い至ったようで、しまったと云う表情をする。
そして、むっつりと黙り込んでいるディトリッシュに恐る恐る顔を向けた。

「お、お前……! 違う、これは事故なんだ! 下心とかそういうのじゃない!
ちょ、姫さん! そんなに抱き着かないでくれ。はしたないことをするんじゃ……」

ふさふさとした毛皮を堪能する姫の耳には届かない。
オーロフも、アストラッドだけならば蹴り飛ばしている所だろうが、可憐な乙女にはそうもいかない。
結局、オーロフは助けを求めることも、振り払うことも出来ず、悲しげな唸り声をあげるしかなかった。

その日、エクレールが来るまで訓練場はずっと騒がしかった。
哀れオーロフは、有能な侍女のお説教を喰らうかと思われたが、王女殿下の嘆願により、
あわやというところで回避されたのであった。代わりに矛先はアストラッドに向かった。
散々な目に遭ったとぼやくオーロフであったが、悲願を果たした王女は一日中幸せだった云う。



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