毒の味


玉座が数多の屍の上に成り立っているというのならば、
屍の数ほど冠の輝きは増すというのならば、私は後どれほどの罪を重ねればよいのか。
玉座についたとしてもその罪は拭えるのだろうか。
良き治世を布けば、そこに至るまでに重ねてきた悪行は帳消しにされると余人は言う。
ましてや犠牲になった者が無辜の民ではなく、政敵である貴族や騎士であるならば尚更だと。
後世の歴史家はこぞって善政を布いた王を誉めそやすだろう。
“正しい犠牲”であったと追記して、歴史家であることの特権を行使するのだ。

本当に罪は消えるのだろうか。
王になれば誰も己を裁くことはできない。己の罪は全て己のみが知ることとなる。
それは――何よりも無慈悲な牢獄ではないのか。
誰にも裁かれない。誰も罪に問うことはできない。一生償うことなど許されない。
もし――口が裂けても洩らすことはできないが、
玉座に届かなければ、王として立つことができなかったら、新たに王となった者に裁かれるのだろうか。
さも親しみを感じているかのようにして懐に入り込み、多くの者に死を与えてきた稀代の毒婦として。

破滅への想像は思いの外、甘美だった。そうなれば毒を盛られるのは自分の方になるだろう。
待ち構えるシジェルへの門は私を拒みはしないだろうか。益体も無いことを考える。
門の向こうで先に待っている者たちは私を罵るだろう。大人しそうな顔をして何て女だ、と。
フィーリア。また親しげに名を呼んでくれる人はどれほどいるだろうか。

そっと髪を撫でる。母御に甘えるよう膝に顔を埋めるのは若き騎士。
先ほどまでは苦悶の表情を浮かべていたというのに、今は眠るように安らかだ。
昨日の彼は明日自分が死ぬなどとは思いもしなかっただろう。
絨毯の上に転がったグラスは割れておらず、椅子やテーブルは彼の苦悶を表しているかのように倒れていた。
ワインの赤い染みがグラスの側で池を作っている。早く替えを用意しなければと機械的に考えた。

膝の上で永遠の眠りについた若き騎士。
親睦を深めたいなどと尤もらしいことを言い、召喚して自らの手で葬った。
彼にワインを勧め、疑いも無く口をつけたことを無感動に眺めていた。
そうして彼が異変を感じ、膝をつくに至って、血相を変えたふりをして駆け寄った。

(何一つ疑っていなかった)

王女が自分に向ける感情が全て明るいものであると信じ切っていた。
駆けより、労わるように助け起こして、今人を呼んだから辛抱してと言えば、申し訳なさそうに謝った。
苦しさで混乱していたのか目の前の女が毒を盛ったなど考えられなかったのだろう。
そして瞳を閉ざした。安心て身を委ねていた。重ねられた手に安らぎすら感じながら。

そうして息絶えたのだ。

手を握ったのは安心させる為などではない。
脈を計り、真に騎士王の御許に逝ったか確かめる為だった。
それだけのことだというのに、未だにもう片方の手は冷たくなっていく手に重ねられている。
この手が本当に掴みたかったのは王女の手などではないはずだ。
彼が何を欲していたのか知る術は永遠に失われた。冷たくなっていく手は何も訴えはしない。

(速く、人を呼ばなければ)

別室で控えているはずの執政官の手の者たちを呼ばなければならない。
速く死体を片付けて、部屋の模様替えもして、後始末をしなければならない。

(何故、動けないのかしら)

暗殺と云う手を行使したのは一度や二度では無い。
目前で命が奪われていく様を何食わぬ顔で見つめていたのも初めてではない。
何を呆然としているのと己を叱咤しながら足に力を入れようとする。だが動かない。
傍から見れば恋人たちが寄り添っているかのように見える光景に、
何者かがひびを入れまいと阻んでいるかのようだった。
もう一度髪を撫でる。手から滑り落ちた髪は生前のままだった。
それでもいずれは抜け落ち、潤いを失わせ、干からびてしまうのだろう。
彼の肉体が腐り、地に返っていくのと同様に。

(人はこうして死んでいくのね)

直接手をかけたの初めてだった。いつもは執政官が全ての糸を引く。
そうして報告書に事故死、または病死と書かれているのを目にして終わりだ。
玉座を阻む者だから、邪魔だから、消す。全て必要なことなのだと。
こうまでして守らなければならないのは騎士王の血。誉れ高き王家の血筋だ。
誰もが正しいと言う。尊き血筋を守れと口を揃えて唱える。

「尊い。騎士王。王女――守る」

守ることが役目。父と兄が居なくなって、それができるのは己のみとなってしまった。
だから守らなければならない。騎士王の血を。連綿と受け継いできた英雄の血脈を。
玉座につかなければ。正しいことをしているのだ。

(正しいことを?)

それは欺瞞だと冷たい手が教えてくれる。
たとえ玉座についたとしても、役目に終わりはない。
子を成し、邪魔者を葬り、死を迎えるまで血筋を守り抜かなければならない。
己の手であとどれくらいの屍を築かなければならないのか。途方もなく思えた。
衝動的に己が手にかけた死体を抱きしめた。冷たかった。

王女の周りで不審死が相次いでいることに疑問を抱く者は少なくない。
あの宰相などはその筆頭であろう。しかし無垢な民はあどけなさの残る王女に同情を寄せる。
さぞ歯痒い思いをしているだろう。もしかすると証拠の一つや二つ掴んでいるかもしれない。

(でもこれで)

王女と会ってすぐの不審死。騒ぎ立て噂する者も多かろう。
そもそも此度の暗殺は、王女自らの手でということもあり、決行を渋られていた。
それでも押し通したのは何故だったか。
成功を期するためだと言いながら、その実逆のことを考えていなかったか。
全てが露見してしまえばよいと思っていなかったか。

証拠を並べて弾劾すれば、さすがに王女を庇い立てする者もいなくなる。
支持者はこぞって宰相へ鞍替えするだろう。
もう守る必要もなくなる。騎士王の血。誉れ高き血。呪わしい鎖。

「はやく私をあなたの御許へ」

物言わぬ死体を抱き寄せながら祈った。



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